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謝辞

21. 書誌、注

[Miller] Miller, William Ian; Bloodtaking and Peacemaking: Feud, Law, and Society in Saga Iceland.; University of Chicago Press 1990, ISBN 0-226-52680-1.
 アイスランドの民会法についてのすばらしい研究。ロック式所有権理論が どれほど古いかを明らかにするとともに、慣習が慣習法へとひきつがれ、 そして成文法になる歴史的なプロセスの後半を描いている。

[Mal] Malaclypse the Younger; Principia Discordia, or How I Found Goddess and What I Did To Her When I Found Her.; Loompanics, ISBN 1-55950-040-9.
 すごく軽い冗談口てんこもりだけれど、そのなかの「SNAFU 原理」なる代物は、 上意下達方式がなぜスケーラビリティが低いのかについて、なかなか深遠な分析を 提供している。ブラウズ可能な HTML 版あり。

[BCT] J. Barkow, L. Cosmides, and J. Tooby (Eds.); The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture. New York: Oxford University Press 1992.
 進化心理学へのすぐれた入門書。論文のいくつかは、ぼくが論じている 3 種類の 文化タイプ(上意下達、交換、贈与)と直接かかわるもので、 こういうパターンが人間の心理のかなり深いところにまで食い込んでいる らしいことを示唆している。

[MHG] Goldhaber, Michael K.; The Attention Economy and the Net
 この論文はバージョン1.7のあとで発見した。一目でわかる欠点もある (Goldhaber は、関心というものには経済的な理由づけが適用できないと 論じているけれど、この議論はよく読むと成り立たない)けれど、 それでも Goldhaber は組織行動における関心集めの役割について おもしろくて鋭いことを言っている。ぼくが論じた名声や仲間内の評判は、 かれが言う意味での関心の特殊例として見ると有益。

[HH] ハッカー社会(hackerdom)の歴史については、 ここに まとめてみた(邦訳はこちら)。 これをほんとうにきちんと説明してくれる本は未だに書かれていないし、 それを書くのはたぶんぼくではないと思う。

[N]「ノウアスフィア(noosphere)」は哲学特有の専門用語で、 「ノウ・ア・スフィア」が正しい発音 (訳注:ティヤール・ド・シャルダンが使っていて、日本ではヌースフィアと 書かれることが多い。この翻訳では著者にしたがった)。表記について死ぬほど 厳密でありたいなら、正しくは二番目の o の上に点々がつく。

 もっと詳しく言えば:この「人間の思考の圏域」を表す用語は、 ギリシャ語の「nous」、つまり精神や意志、息などを指す単語から生まれている。 E. LeRoy が Les origines humaines et l'evolution de l'intelligence (Paris 1928) で発明したことばだ。 これはさらに、ロシアの生物学者にして先駆的なエコロジスト Vladimir Ivanovich Vernadsky (1863-1945) によって広められ、さらには イエズス会の古生物学者兼哲学者ピエール・ティヤール・ド・シャルダン Pierre Teilhard de Chardin (1881-1955) がこれを広めた。いまでは この用語は主に、人間が将来純粋な精神体へと進化して神様と融合するという かれの理論と結びついて考えられている。

[SP] LinuxとBSDの世界とのおもしろいちがいの一つは、 Linux のカーネル(および関連するOSの中心的なユーティリティ)は一度も 分裂していないけれど、BSD は少なくとも 3 回は分裂しているということだ。 これがおもしろいのは、BSD グループの社会構造は中央集権化されていて、 権限をはっきりと線引きすることで分裂を防ぐようになっているのに、 中央集権化されていなくて不定型な Linux コミュニティは分裂を防ぐような手段を まったく講じていないからだ。開発をなるべく開放したほうが、いちばん 分裂しにくくなるとしか思えない!

Henry Spencer <henry@spsystems.net> の考えによれば、 一般に政治的なシステムの安定性は、その政治プロセスへの参入障壁の高さに 反比例するのではないか、とのこと。かれの分析は、 ここで引用するだけの価値がある:

「比較的オープンな民主主義の大きな強みの一つは、ほとんどの潜在的革命家は 自分の目的を達成するのに、システムを利用したほうがシステムを攻撃するよりも 簡単だと判断する、ということだ。各種組織が協力して「敷居を上げて」、 不満を持った小集団が自分の目標を多少なりとも達成するのをむずかしくすると、 この強みはすぐに消えてしまう。

(同じような原理は経済でも見られる。開放市場では競合がいちばん激しく、 さらに最高で最低価格の製品が得られるのがふつうだ。このため、既存企業としては、 新規参入をなるべくむずかしくするのがいちばん利益になる —— たとえば政府に対し、コンピュータに入念な RFI テストを義務づけさせたり、 ポケットが深くない限り、複雑すぎて 1 から実装するのが実質邸に不可能な 「合意に基づく」規格を作ったりするわけだ。参入障壁がいちばん強力な市場は、 革命家、たとえばインターネットや、司法省対ベルシステムの独禁法裁判などから いちばん攻撃を受けやすい市場でもある。)

 参入障壁の低いオープンなプロセスは、分離させるより、むしろ参加をうながす。 分離による高いオーバーヘッドなしに成果が得られるからだ。その成果は、 分離したら達成できるものほどはすごくないかもしれないけれど、必要コストは 低いし、多くの人はこれをがまんできる範囲のトレードオフだと判断する。 (スペイン政府がフランコの反バスク法を廃止して、バスク地方に独自の学校と 一定の自治権を与えたら、バスク独立運動のほとんどは一瞬で消えた。 それでは不十分だと固執したのは、ゴリゴリのマルクス主義者だけだった。)」

[RP] 非公式パッチについてはいくつか細かい点がある。 まずこれは、「友好的なもの」と「敵対するもの」に分類できる。「友好的」な パッチは管理者のコントロール下で、プロジェクトのソースコードの主流に 織り込まれるように設計されている(それが実際に織り込まれるかはまた別の話)。 「敵対」パッチは、管理者の認めない方向にプロジェクトをねじまげようと するものだ。一部のプロジェクト(とくに Linux カーネルそのもの)は 友好パッチにはすごく甘くて、むしろベータテストの段階では、独自のパッケージを 推奨したりさえする。一方の敵対パッチはオリジナルと張り合おうという決断を 示すもので、深刻な事態となる。敵対パッチを大量に管理するようになると、 プロジェクトはやがて分裂に向かうことが多い。

[LW] ハッカーと海賊ソフト文化との対比がいかに示唆的かを 指摘してくれた点で、Michael Funk <mwfunk@uncc.campus.mci.net> には感謝したい。Linus Wallej は、かれらの文化力学についてぼくとは異なる 分析をポストしている(かれらを希少性文化として描いている。これは A Comment on `Warez D00dz' Culture (http://www.df.lth.se/~triad/papers/Raymond_D00dz.htmlを参照。

 この対比は、長続きしないかもしれない。もとクラッカーの Andrej Brandt <andy@pilgrim.cs.net.pl> の見解によると、cracker/warez d00dz 文化は現在しぼみつつあって、いちばん優れた人材やリーダーたちは、 オープンソースの世界に取り込まれているという。この視点について独立した 証拠としては、「Cult of the Dead Cow」というクラッカー集団が 1999 年 6 月に 行った、前例のない行動がある。かれらは、Microsoft Windows のセキュリティを破るためのツールである「Back Orifice 2000」を GPL のもとで 公開した。

[HT] 進化論的にいえば、職人の衝動自体が(内面化された 倫理と同じく)裏切りの高リスクとコストの結果かもしれない。進化心理学者たちは、 人間が社会的なだましを検出するのに特化した脳論理回路を持っているという証拠を 得ている[BCT]。そして、われわれの先祖がインチキを 検出する能力を持ったために選別されたのはなぜか、理解するのは容易だろう。 だから、もしリスクもコストも高いけれど、メリットももたらすような性格の 持ち主だという評判を得たければ、そういう性質があるふりをしてごまかすよりも、 実際にそういう性質を身につけるほうが戦術的に優れているかも知れない (「正直がいちばん」というやつだ)。

 進化心理学者たちは、これで酒場のけんかのような行動も説明できるのでは、 と言う。若い大人の男性の間では、「タフだ」という評判は社会的にも (そして現在のフェミニズムの栄養が強い風土にあってなお)性的にも有用なのだ。 「タフさ」を詐称するのは、非常にリスクが高い。それがばれたときの マイナスの影響は、それを主張しなかった場合に比べてもっと悪い立場に その人物を追いやってしまう。この詐欺のコストはあまりに高いので、「タフさ」を 内面化して、けんかで無理にそれを証明するために深刻なけがのリスクを負うほうが、 最小効用の最大化(ミニマックス化)のためには有効なことさえある。もっと 議論にならない「正直さ」のような性向についても、似たような観察がなされている。

 創造的な仕事の、主に瞑想にも似た見返りは過小評価してはならないけれど、 職人の衝動というのは、おそらく部分的にはまさにこうした内面化からくるもの なのだろう(そこでは基本的な性向は、「面倒な仕事をこなす能力」といった ようなものになる)。

[MH] マスローのヒエラルキーと関連理論についての 簡潔なまとめは、web上で読める。「Maslow's Hierarchy of Needs」 (http://www.valdosta.peachnet.edu/~whuitt/psy702/regsys/maslow.html

[DC] しかしながら、リーダーに謙虚さを求めるというのは、 贈与文化、過剰文化のもっと一般的な性質なのかもしれない。David Christie <dc@netscape.com> は、フィジーの周辺部の島を旅したときについて こう書いている:

「フィジーの村長にも、あなたがオープンソースのリーダーについて述べたのと 同じように、卑下する腰の低いリーダーシップのスタイルが観察されました。 [中略] 大いなる尊敬を集め、そしてフィジーにある限りの現実の力をすべて 持っているのに、われわれが会った村長たちは本物の謙虚さを示し、 しばしば自分たちの任務を聖人のように受け入れていました。これは、 村長というのが世襲だということを考えるとなおさら興味深いものです。 選出されるわけでもないし、人気投票で決まるのでもありません。 どういうわけか、生まれついてのことで仲間に選ばれたわけでもないのに、 文化そのものによって訓練されているらしいのです。」

 かれはさらに、このフィジーの村長に特有のスタイルは、強力を強制するのが むずかしいという事実からくるのだと思っていることを強調している。 村長は「大きなニンジンも、大きな棒も持っていない」わけだ。

[NO] 見ればすぐにわかることだが、うまくいった プロジェクトを創始した人のほうが、成功したプロジェクトのデバッグや援助で 同じくらいの仕事をした人にくらべて、高い評判を獲得する。この論文のかつての バージョンでは、次のような疑問を提示していた:「これは比較できる作業の 価値評価として合理的なものだろうか、それともぼくたちがここで示してきた 無意識の領土モデルからくる二次的な副産物なんだろうか?」 何人かのコメントは、 説得力ある、基本的には同じ理論を示唆してくれている。以下の Ryan Waldron <rew@erebor.com> の分析がこの論点をうまく表現している:

「ロック式土地理論の文脈では、新しい成功したプロジェクトを確立した人物は、 本質的に新しい領土を開拓して、そこをほかの人たちが入植できるようにしたことに なる。ほとんどの成功したプロジェクトでは、収益はだんだん減るというパターンが あるので、しばらくすると、プロジェクトへの貢献のクレジットは実に間が空いた ものになってきて、後からの参加者には、十分な評価が蓄積しにくくなってしまう。 その人がどんなに高質な仕事をしようとも。

 たとえば、ぼくがこれから Perl を改善して、Larry や Tom や Randall などが達成した認知のごく一部でも獲得しようと思ったら、 本当にすさまじくいい仕事をしなくてはならないだろう。

 でも、新しいプロジェクトが [だれか別の人によって] 明日にでも創始されたら、 そしてぼくが初期の熱心な参加者になったら、そのうまくいったプロジェクトに よって生じた尊敬の分け前をもらう能力は、早めに参加していたということによって 大きく拡大する(貢献の中身が同程度だったとしても)。たぶん、早めに Micro$oft 株を買った人と、後で投資した人の差に近いと思う。みんな儲かるけれど、早めに 買った人はもっと儲かる。だからどこかの時点で、ぼくは既存の企業の株が絶えず 値上がりするのに加わるよりは、新しい成功する IPO のほうに興味をおぼえるように なるはずだ。」

Ryan Waldron のアナロジーはもっと拡張できる。プロジェクトの創始者は、 他の人に受け入れられるか、つかいものになるかもわからない新しいアイデアを、 伝道師のように売り込まなくてはならない。だから創始者は IPO リスクと似たよなものを負担することになる(自分の評判へのダメージの 可能性として)。これは、仲間内である程度受け入れられたプロジェクトを 手伝った人よりも、負担するリスクが大きい。創始者の見返りは、実際問題として 助手たちが仕事をたくさんつぎ込んでいても、一定だ。これは交換経済における リスクと見返りの関係として楽に理解できる。

 他の評者たちの見解では、われわれの神経システムは、ちがいを認識するように 調整されていて、安定状態には敏感ではない。新しいプロジェクトの創造によって 目的される革命的な変化は、したがってたえまない段階的な改善の集積効果より、 ずっと認知されやすい。だから Linus は Linux の父として尊敬される。 その他何千という貢献者たちによる貢献の純粋量は、Linus 一人の仕事なんかでは 絶対に不可能なほど、OS の成功に貢献してはいても。

[HD] 「脱・共有化」(de-commoditizing)ということばは、 「ハロウィーン文書」 への言及。この文書でマイクロソフトは、顧客を収奪できるような独占的囲い込みを 維持するための、いちばん有効な長期戦略として、この「脱共有化」を 何のためらいもなく提案している。


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