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4. 「情報はフリーになりたがっている」というのはウソだ

 もう一つ神話があって、工場モデルの幻想と同じく誤解でありながら、中身は それとは正反対で、オープンソースソフトの経済学についてのみんなの思考を 混乱させている。それは「情報はフリーになりたがっている」というやつだ。 これを整理していくと、ふつうはデジタル情報の複製にかかる限界費用はゼロだから、 その市場価格もゼロになるべきだ、という主張に落ち着く。

 この神話のいちばん広いものは、競合する財へのなんらかの利害にかかわる情報の 価値を考えれば、すぐに論破できる —— たとえば宝の地図や、スイスの銀行の 口座番号、あるいはコンピュータのアカウントのパスワードなど。そこへの 利害を持つ情報はコストゼロで複製できるけれど、そこで問題になっている利害は コストゼロで複製できない。すまり、その利害をもたらす物件の限界複製コストは ゼロではなく、したがって、そのコストはそれへの権利を左右する情報にも 踏襲されることができる。

 この神話を持ち出してきた主な理由は、それがオープンソースの経済効用に関する 議論と無関係だということを示すためだ。後で見るように、オープンソースの 経済効用に関する議論は、ソフトが実は工業製品のような(ゼロではない) 価値構造を持っていると仮定したとしても、同じように成り立つ。 だからぼくたちは、情報がフリーである「べき」かどうかという質問に取り組む 必要もないわけだ。

(訳注:ふつう、「情報はフリーになりたがっている」という場合のフリーは自由に 公開されるべきだという意味のフリーで、無料という意味ではない。ここんとこの ESR の議論は、ちょっと的外れだと思う。これに対して ESR は「いやそんなことはない、ふつうの用例では無料という意味だ、おまえは フリーソフト勢のイデオロギーに洗脳されている」と返事してくれたんだけれど、 でもでも、ぼくが聞くこの用語の用例というのは、むしろジャーナリスト勢から くるもののほうが多いんだけどな。まあいいや。山形の理解が特殊だったのかも しれない。)


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