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どれほどすばらしい贈り物?

12. 評判ゲームモデルが持つ分野全体としての意義

 評判ゲーム分析は、一見するとわかりにくいかもしれない含蓄をもっと持っている。 その多くは、既存のプロジェクトに協力するより成功プロジェクトを創始するほうが 名声が高まるという事実から派生するものだ。また、既存のプロジェクトを だんだん改善させるような、「おれもおれも」式改良よりは、感動するほど 独創的なプロジェクトのほうがポイントを稼ぎやすい。一方で作者以外の だれにも理解できない、あるいは作者にしかニーズのないソフトは、 評判ゲームでは何の役にもたたないし、みんなに新しいプロジェクトを認識して もらうよりは、既存プロジェクトに貢献したほうが、高いポイントを稼ぎやすい。 最後に、空っぽのニッチを埋めるよりは、すでに成功しているプロジェクトと 競合するほうがずっとむずかしい。

 したがって、ご近所(いちばん近い競合プロジェクト)からの最適な距離って ものがある。近すぎればその成果物は「おれもおれも!」式の価値の低いものとなり、 贈り物としては弱い(それなら既存プロジェクトに貢献する方がいい)。 あまりに離れすぎていたら、だれもその努力を利用できず、理解できず、 そして重要性を理解することもできなくなる(これまた贈り物としては弱い)。 これは、ノウアスフィアの開墾パターンの面で、物理的なフロンティアに 散らばって入植する入植者たちといささか似たような光景をつくりだす —— ランダムではないが、散らばりかたの限られたフラクタルの波のようなパターンだ。 プロジェクトは、フロンティア近くの機能的ギャップを埋めようとして 創始される傾向が強い(目新しさの誘惑に関する追加の議論については [NO] を見てほしい)。

 一部のすごく成功したプロジェクトは「カテゴリーキラー」となる。 だれもその近くを開墾したいとは思わない。確立された基盤とはりあって、 ハッカーたちの関心を求めるのはむずかしすぎるからだ。 そうでなければ独自のプロジェクトを創始するような人たちは、 かわりに大きな成功したプロジェクトに拡張を加えるにとどまる。 古典的な「カテゴリーキラー」の例は GNU Emacs だ。その変種は、 完全にプログラム可能なエディタの生態ニッチをあまりに完璧に埋めてしまったので、 だれも 1980 年代初期以来、まったく異なるデザインなど 試してみようとすらしない。かわりにそういう人は、Emacs のモードを書くんだ。

 全体的にみて、この二つの傾向(ギャップ埋めとカテゴリーキラー)のおかげで、 時代を追うにつれてのプロジェクト開始傾向、おおむね予想がつく。1970 年代に出回っていたほとんどのオープンソースはおもちゃとデモだった。1980 年代には、開発ツールとインターネットツールが主流。そして 1990 年代になると、 中心は OS に移った。いずれの場合にも、それ以前の分野の可能性が ほとんど尽きてしまって、新しいもっと難しいレベルの問題に矛先が移っている。

 このトレンドは、近未来にとっておもしろい意味を持っている。1998 年頭には、 Linux はどうやら「フリー OS」というニッチにとってカテゴリーキラーと なったような感じだ —— かつてなら競合 OS を書いたかもしれない人たちは、 いまでは Linux のデバイスドライバや拡張を書いている。そして この文化がこれまで想像してきたようなローレベルのツールは、 ほとんどすべてオープンソースで存在している。あとはなにが残っているだろう?

 アプリケーションだ。2000 年が近づくにつれて、オープンソース開発が ますます最後の処女地に向かってシフトすると予言してもよさそうだ。 その処女地とはすなわち、技術オンチのためのプログラムだ。 はっきりした最初のしるしとしては、GIMPの 開発がある。これはフォトショップに似た画像処理ソフトで、過去 10 年には商業アプリケーションの de rigeurと思われていた、 エンドユーザにやさしい GUI を持っている。別の示唆としては、 アプリケーション用ツールキットのプロジェクトを取り巻いているにぎやかさが指摘できるだろう。KDEGNOMEなんかだ。

 この論文の評者の一人は、開墾のアナロジーを使うことで、 ハッカーたちがなぜマイクロソフトの「抱き込んで拡張」方針、 つまりインターネットプロトコルを複雑化して閉じたものにしてしまおうという 方針に対し、なぜあれほど露骨な怒りをもって反応するのか、 ということが説明できることを指摘している。 ハッカー文化はほとんどのクローズドなソフトと共存できる。 たとえば Adobe Photoshop があっても、そのオープンソース版とも言うべき GIMP 周辺の領域が極端に魅力がなくなるわけではない。でも、 マイクロソフトがプロトコルを「脱・共有化」[HD] してしまって、マイクロソフト自身のプログラマしか それを使うソフトが書けないようにしてしまったら、マイクロソフトは 単に独占を拡大して顧客に害を与えるだけではすまない。 ハッカーたちが開墾して耕作すべきノウアスフィアの量と質を 低下させることにもなる。ハッカーたちがマイクロソフトの戦略を 「プロトコル汚染」と呼ぶのも当然だろう。かれらは、 自分の農業用水に毒を入れようとしている人を見つけた農夫たちと まったく同じ反応を示しているわけだ!

 最後に、評判ゲーム分析はよく挙げられる格言を説明してくれる。 人はハッカーを名乗ればハッカーになれるわけじゃない —— ほかのハッカーにハッカーと呼ばれた時点で、 人はハッカーになるんだ。この観点から見た「ハッカー」というのは、 技術的な能力を持っていて、しかも評判ゲームがどう機能するかわかっている ということを(贈り物を提供することで)実証した人間だ。 この判断は、おもに認知と文化順応に基づくもので、すでにこの文化の中に しっかり入った人々からしか与えられない。


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